冤罪不当取り調べの国賠請求

刑事|被疑者と行政捜査機関の利益対立|奈良地裁令和5年8月31日損害賠償請求事件判決|最高裁判所昭和59年2月29日判決|札幌地方裁判所令和4年3月25日国家賠償請求事件判決

目次

  1. 質問
  2. 回答
  3. 解説
  4. 関連事例集
  5. 参考判例

質問:

先日、通勤電車内で突然腕を掴まれ「痴漢です」と言われ、警察署に任意同行を求められ事情聴取を受けました。冤罪であり、私は全く身に覚えがありませんので、事実の通りに「やっていません」と話しましたが、警察官は私が犯人だと決めつけて「認めないと大変なことになる」などと何度も半ば脅迫するような取り調べを半日にわたって受けさせられました。そのせいで当日は仕事を休まざるを得ませんでした。これは全くの無実の市民に対して不当な取り扱いであり、警察に謝罪と賠償を求めたいと思いますが、可能でしょうか。

回答:

1、現時点では、痴漢容疑が事件になっていると考えられますから、その事件が終結して、容疑がなかったことが確実となってから、警察に対し、る謝罪要求や損害賠償の請求を考えるべきでしょう。但し、被害者から現行犯という形で警察に引き渡され取り調べを受けたということですので、違法な捜査が行われたと認められるのは極めて困難と考えられます。

2、 警察官の職務執行は、刑法、刑事訴訟法、警察法、警察官職務執行法、犯罪捜査規範などに規定されており、法令に従って警察官は職務遂行しています(法律に基づく行政の原理、法律の留保)。女性からの被害申告など、合理的な犯罪発生の疑いがある場合、警察官には、これを捜査して検察官に送致する職務上の職責と権限がありますので、社会通念上相当とされる範囲内の取り調べであれば、市民としては無実の冤罪であっても、つまり、有罪無罪に関わりなく受忍すべき性質の行為であり、違法性を帯びることはありません。

2、他方、あなたが被疑事実について犯罪に抵触しない合理的疑いを捜査官に対して具体的に提出しているにも関わらず、これを真摯に取り扱わず、あなたの自白供述の取得のみを目指して、あなたが犯人であると決めつけて、執拗に脅迫的な取り調べが行われたり、あなたの日常行動を執拗に尾行したり観察するなどした場合には、相当性を逸脱する限りにおいて、違法な捜査・取り調べが認定され、国家賠償請求が認められる可能性もあります。

3、参考になると思われる判例がありますので、いくつか御紹介致します。

4、一般論となりますが、お伺いした事情のように一度の取り調べだけであれば、取り調べの違法性までは認められることが難しいと思われます。取り調べの違法性を主張するよりも、弁護士の起訴前弁護を依頼し、速やかな嫌疑の解消に努めた方が良いと思います。お困りであれば一度お近くの法律事務所に御相談なさって下さい。

5、冤罪に関する関連事例集参照。

解説:

1、犯罪捜査の根拠法令

刑事処分の手続きは、次の手順で行われます。

•保護法益が規定された刑罰法規の構成要件該当行為発生(疑い)

•被害者による被害届・刑事告訴、第三者による刑事告発、犯人による自首、警察官による警ら活動(捜査の端緒)

•警察官による刑事事件の認知

•構成要件該当事実を立証するための証拠資料の収集、書類送検

•検察官調べ、起訴裁量の判断

•裁判所による審理、判決・刑の執行

安寧な市民生活のために社会秩序の維持、治安の維持は必須条件となりますので、刑法その他の刑罰法規で、生命、身体、財産などの個人的保護法益や、社会の安全など社会的法益を保護するための様々な罰条が定められ、構成要件該当事実と刑罰が法定されています。罪刑法定主義と言って、構成要件該当行為と刑罰内容は刑事手続きを行う場合には予め法定されていることが必要です。市民は具体的な条文を暗記することまでは求められませんが、市民にとって全く知り得ない罰条によって処罰されてしまうのであれば、市民はこれを回避することも出来ませんし、だまし討ちになってしまうからです。

警察官は、刑罰法規に違反する行為を抑止し、また、過去に行われた行為の事実関係を捜査して、捜査資料一式や、必要に応じて犯人の身柄を検察官に送致します。警察官は行政権限の一部を担当する公務員ですから、行政権が従うべき「法律に基づく行政の原理」、「法律の留保」が、警察官の職務執行にも当てはまるのです。警察官は法令の根拠に基づき、これに従いながら仕事をしなければなりませんし、警察官は常にこれを意識しながら仕事をしています。それぞれの法令と、規範内容を簡単にご紹介致します。

刑法・・・窃盗罪、詐欺罪、殺人罪、横領罪など個人的法益や、放火罪や通貨偽造罪や公然わいせつ罪などの社会的法益に関する罪の構成要件と罰則が規定されます。この中で、犯罪捜査の行き過ぎを規制する罰条があります。

刑法194条(特別公務員職権濫用)裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者がその職権を濫用して、人を逮捕し、又は監禁したときは、六月以上十年以下の懲役又は禁錮に処する。

刑法195条(特別公務員暴行陵虐)

1項 裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者が、その職務を行うに当たり、被告人、被疑者その他の者に対して暴行又は陵辱若しくは加虐の行為をしたときは、七年以下の懲役又は禁錮に処する。

2項 法令により拘禁された者を看守し又は護送する者がその拘禁された者に対して暴行又は陵辱若しくは加虐の行為をしたときも、前項と同様とする。

刑法196条(特別公務員職権濫用等致死傷)前二条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。

警察官が職務権限を逸脱して、人を逮捕したり、監禁したり、暴行・凌辱・加虐の行為をすることが禁じられています。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/172/050172_hanrei.pdf

※最高裁判所平成11年2月17日特別公務員暴行陵虐致死被告事件判決

『以上の事実関係によれば、Aが第二現場以降前記ナイフを不法に携帯していたことが明らかであり、また、少なくとも第三、第四現場におけるAの行為が公務執行妨害罪を構成することも明らかであるから、被告人の二回にわたる発砲行為は、銃砲刀剣類所持等取締法違反及び公務執行妨害の犯人を逮捕し、自己を防護するために行われたものと認められる。しかしながら、Aが所持していた前記ナイフは比較的小型である上、Aの抵抗の態様は、相当強度のものであったとはいえ、一貫して、被告人の接近を阻もうとするにとどまり、被告人が接近しない限りは積極的加害行為に出たり、付近住民に危害を加えるなど他の犯罪行為に出ることをうかがわせるような客観的状况は全くなく、被告人が性急にAを逮捕しようとしなければ、そのような抵抗に遭うことはなかったものと認められ、その罪質、抵抗の態様等に照らすと、被告人としては、逮捕行為を一時中断し、相勤の警察官の到を待ってその協力を得て逮捕行為に出るなど他の手段を採ることも十分可能であって、いまだ、Aに対しけん銃の発砲により危害を加えることが許容される状况にあったと認めることはできない。そうすると、被告人の各発砲行為は、いずれも、警察官職務執行法七条に定める「必要であると認める相当な理由のある場合」に当たらず、かつ、「その事態に応じ合理的に必要と判断される限度」を逸脱したものというべきであって(なお、仮に所論のように、第三現場におけるけん銃の発砲が威嚇の意図によるものであったとしても、右判断を左右するものではない。)、本件各発砲を違法と認め、被告人に特別公務員暴行陵虐致死罪の成立を認めた原判断は、正当である。』

刑事訴訟法・・・189条から191条に、警察官と検察官の捜査権限と指揮関係が法定されています。

刑事訴訟法189条

1項 警察官は、それぞれ、他の法律又は国家公安委員会若しくは都道府県公安委員会の定めるところにより、司法警察職員として職務を行う。

2項 司法警察職員は、犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものとする。

190条 森林、鉄道その他特別の事項について司法警察職員として職務を行うべき者及びその職務の範囲は、別に法律でこれを定める。

191条

1項 検察官は、必要と認めるときは、自ら犯罪を捜査することができる。

2項 検察事務官は、検察官の指揮を受け、捜査をしなければならない。

192条 検察官と都道府県公安委員会及び司法警察職員とは、捜査に関し、互に協力しなければならない。

警察法・・・警察組織の規律を定めた法律ですが、警察官の職務についても規定があります(警察法63条、2条1項)。

警察法1条(この法律の目的)この法律は、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、民主的理念を基調とする警察の管理と運営を保障し、且つ、能率的にその任務を遂行するに足る警察の組織を定めることを目的とする。

2条(警察の責務)

1項 警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。

2項 警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。

3条(服務の宣誓の内容)この法律により警察の職務を行うすべての職員は、日本国憲法及び法律を擁護し、不偏不党且つ公平中正にその職務を遂行する旨の服務の宣誓を行うものとする。

63条(警察官の職務)警察官は、上官の指揮監督を受け、警察の事務を執行する。

64条(警察官の職権行使)

1項 第五条第四項第十六号に掲げるものに係る事務に関して必要な職務を行う警察庁の警察官は、この法律に特別の定めがある場合を除くほか、当該職務に必要な限度で職権を行うものとする。

2項 都道府県警察の警察官は、この法律に特別の定めがある場合を除くほか、当該都道府県警察の管轄区域内において職権を行うものとする。

65条(現行犯人に関する職権行使)警察官は、いかなる地域においても、刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)第二百十二条に規定する現行犯人の逮捕に関しては、警察官としての職権を行うことができる。

67条(小型武器の所持)警察官は、その職務の遂行のため小型武器を所持することができる。

また、警察官の職務執行に関する苦情申し出の手続きも法定されています。

警察法79条(苦情の申出等)

1項 都道府県警察の職員(第六十一条の三第四項に規定する都道府県警察の警察官を除く。)の職務執行について苦情がある者は、都道府県公安委員会に対し、国家公安委員会規則で定める手続に従い、文書により苦情の申出をすることができる。

2項 第六十四条第一項に規定する警察庁の警察官及び第六十一条の三第四項に規定する都道府県警察の警察官の当該職務執行について苦情がある者は、国家公安委員会に対し、国家公安委員会規則で定める手続に従い、文書により苦情の申出をすることができる。

3項 都道府県公安委員会又は国家公安委員会は、前二項の申出があつたときは、法令又は条例の規定に基づきこれを誠実に処理し、処理の結果を文書により申出者に通知しなければならない。ただし、次に掲げる場合は、この限りでない。

一号 申出が警察の事務の適正な遂行を妨げる目的で行われたと認められるとき。

二号 申出者の所在が不明であるとき。

三号 申出者が他の者と共同で苦情の申出を行つたと認められる場合において、当該他の者に当該苦情に係る処理の結果を通知したとき。

警察官職務執行法・・・警察官の具体的職務について定めた法律です。警察官はこの全条文を暗記しています。重要な法律ですので、全条文を引用します。

警察官職務執行法

第1条(この法律の目的)

1項 この法律は、警察官が警察法(昭和二十九年法律第百六十二号)に規定する個人の生命、身体及び財産の保護、犯罪の予防、公安の維持並びに他の法令の執行等の職権職務を忠実に遂行するために、必要な手段を定めることを目的とする。

2項 この法律に規定する手段は、前項の目的のため必要な最小の限度において用いるべきものであつて、いやしくもその濫用にわたるようなことがあつてはならない。

第2条(質問)

1項 警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知つていると認められる者を停止させて質問することができる。

2項 その場で前項の質問をすることが本人に対して不利であり、又は交通の妨害になると認められる場合においては、質問するため、その者に附近の警察署、派出所又は駐在所に同行することを求めることができる。

3項 前二項に規定する者は、刑事訴訟に関する法律の規定によらない限り、身柄を拘束され、又はその意に反して警察署、派出所若しくは駐在所に連行され、若しくは答弁を強要されることはない。

4項 警察官は、刑事訴訟に関する法律により逮捕されている者については、その身体について凶器を所持しているかどうかを調べることができる。

第3条(保護)

1項 警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して次の各号のいずれかに該当することが明らかであり、かつ、応急の救護を要すると信ずるに足りる相当な理由のある者を発見したときは、取りあえず警察署、病院、救護施設等の適当な場所において、これを保護しなければならない。

一号 精神錯乱又は泥酔のため、自己又は他人の生命、身体又は財産に危害を及ぼすおそれのある者

二号 迷い子、病人、負傷者等で適当な保護者を伴わず、応急の救護を要すると認められる者(本人がこれを拒んだ場合を除く。)

2項 前項の措置をとつた場合においては、警察官は、できるだけすみやかに、その者の家族、知人その他の関係者にこれを通知し、その者の引取方について必要な手配をしなければならない。責任ある家族、知人等が見つからないときは、すみやかにその事件を適当な公衆保健若しくは公共福祉のための機関又はこの種の者の処置について法令により責任を負う他の公の機関に、その事件を引き継がなければならない。

3項 第一項の規定による警察の保護は、二十四時間をこえてはならない。但し、引き続き保護することを承認する簡易裁判所(当該保護をした警察官の属する警察署所在地を管轄する簡易裁判所をいう。以下同じ。)の裁判官の許可状のある場合は、この限りでない。

4項 前項但書の許可状は、警察官の請求に基き、裁判官において已むを得ない事情があると認めた場合に限り、これを発するものとし、その延長に係る期間は、通じて五日をこえてはならない。この許可状には已むを得ないと認められる事情を明記しなければならない。

5項 警察官は、第一項の規定により警察で保護をした者の氏名、住所、保護の理由、保護及び引渡の時日並びに引渡先を毎週簡易裁判所に通知しなければならない。

第4条(避難等の措置)

1項 警察官は、人の生命若しくは身体に危険を及ぼし、又は財産に重大な損害を及ぼす虞のある天災、事変、工作物の損壊、交通事故、危険物の爆発、狂犬、奔馬の類等の出現、極端な雑踏等危険な事態がある場合においては、その場に居合わせた者、その事物の管理者その他関係者に必要な警告を発し、及び特に急を要する場合においては、危害を受ける虞のある者に対し、その場の危害を避けしめるために必要な限度でこれを引き留め、若しくは避難させ、又はその場に居合わせた者、その事物の管理者その他関係者に対し、危害防止のため通常必要と認められる措置をとることを命じ、又は自らその措置をとることができる。

2項 前項の規定により警察官がとつた処置については、順序を経て所属の公安委員会にこれを報告しなければならない。この場合において、公安委員会は他の公の機関に対し、その後の処置について必要と認める協力を求めるため適当な措置をとらなければならない。

第5条(犯罪の予防及び制止)

第五条 警察官は、犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは、その予防のため関係者に必要な警告を発し、又、もしその行為により人の生命若しくは身体に危険が及び、又は財産に重大な損害を受ける虞があつて、急を要する場合においては、その行為を制止することができる。

第6条(立入)

1項 警察官は、前二条に規定する危険な事態が発生し、人の生命、身体又は財産に対し危害が切迫した場合において、その危害を予防し、損害の拡大を防ぎ、又は被害者を救助するため、已むを得ないと認めるときは、合理的に必要と判断される限度において他人の土地、建物又は船車の中に立ち入ることができる。

2項 興行場、旅館、料理屋、駅その他多数の客の来集する場所の管理者又はこれに準ずる者は、その公開時間中において、警察官が犯罪の予防又は人の生命、身体若しくは財産に対する危害予防のため、その場所に立ち入ることを要求した場合においては、正当の理由なくして、これを拒むことができない。

3項 警察官は、前二項の規定による立入に際しては、みだりに関係者の正当な業務を妨害してはならない。

4項 警察官は、第一項又は第二項の規定による立入に際して、その場所の管理者又はこれに準ずる者から要求された場合には、その理由を告げ、且つ、その身分を示す証票を呈示しなければならない。

第7条(武器の使用)警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。但し、刑法(明治四十年法律第四十五号)第三十六条(正当防衛)若しくは同法第三十七条(緊急避難)に該当する場合又は左の各号の一に該当する場合を除いては、人に危害を与えてはならない。

一号 死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁こヽにあたる兇悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。

二号 逮捕状により逮捕する際又は勾引状若しくは勾留状を執行する際その本人がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。

第8条(他の法令による職権職務)警察官は、この法律の規定によるの外、刑事訴訟その他に関する法令及び警察の規則による職権職務を遂行すべきものとする。

犯罪捜査規範・・・これは内閣府の外局として設置された行政委員会である国家公安委員会が制定した行政規則です。警察官が、警察法や警察官職務執行法に基づいて捜査する場合に従うべき心構えや手順などが規定されています。

https://www.npa.go.jp/laws/kaisei/kisoku/hansouboujyu_honbun.pdf

このなかで、取り調べについて規定する部分の抜粋を引用致します。

犯罪捜査規範166条(取調べの心構え)取調べに当たつては、予断を排し、被疑者その他関係者の供述、弁解等の内容のみにとらわれることなく、あくまで真実の発見を目標として行わなければならない。

167条(取調べにおける留意事項)

1項 取調べを行うに当たつては、被疑者の動静に注意を払い、被疑者の逃亡及び自殺その他の事故を防止するように注意しなければならない。

2項 取調べを行うに当たつては、事前に相手方の年令、性別、境遇、性格等を把握するように努めなければならない。

3項 取調べに当たつては、冷静を保ち、感情にはしることなく、被疑者の利益となるべき事情をも明らかにするように努めなければならない。

4項 取調べに当たつては、言動に注意し、相手方の年令、性別、境遇、性格等に応じ、その者にふさわしい取扱いをする等その心情を理解して行わなければならない。

5項 警察官は、常に相手方の特性に応じた取調べ方法の習得に努め、取調べに当たつては、その者の特性に応じた方法を用いるようにしなければならない。

168条(任意性の確保)

1項 取調べを行うに当たつては、強制、拷問、脅迫その他供述の任意性について疑念をいだかれるような方法を用いてはならない。

2項 取調べを行うに当たつては、自己が期待し、又は希望する供述を相手方に示唆する等の方法により、みだりに供述を誘導し、供述の代償として利益を供与すべきことを約束し、その他供述の真実性を失わせるおそれのある方法を用いてはならない。

3項 取調べは、やむを得ない理由がある場合のほか、深夜に又は長時間にわたり行うことを避けなければならない。この場合において、午後10時から午前5時までの間に、又は1日につき8時間を超えて、被疑者の取調べを行うときは、警察本部長又は警察署長の承認を受けなければならない。

168条の2(精神又は身体に障害のある者の取調べにおける留意事項)精神又は身体に障害のある者の取調べを行うに当たつては、その者の特性を十分に理解し、取調べを行う時間や場所等について配慮するとともに、供述の任意性に疑念が生じることのないように、その障害の程度等を踏まえ、適切な方法を用いなければならない。

169条(自己の意思に反して供述をする必要がない旨の告知)

1項 被疑者の取調べを行うに当たつては、あらかじめ、自己の意思に反して供述する必要がない旨を告げなければならない。

2項 前項の告知は、取調べが相当期間中断した後再びこれを開始する場合又は取調べ警察官が交代した場合には、改めて行わなければならない。

2、犯罪捜査が違法となる場合

上記の様に、法令の手続きに従って警察官による犯罪捜査は行われていますが、法令の権限を逸脱して捜査が行われる場合は違法な捜査となり、国民に損害を生じた場合は、国家賠償の対象となり得ます。

では、どのような場合に、権限逸脱していると判断され得るでしょうか。

警察比例の原則違反・・・警察官の職務執行は法益保護の目的がありますが、市民に対する過度の権利侵害のおそれもありますので、目的達成のための必要最小限度のものでなければなりません。警察官職務執行法1条2項では、「この法律に規定する手段は、前項の目的のため必要な最小の限度において用いるべきものであつて、いやしくもその濫用にわたるようなことがあつてはならない。」と規定されています。警察比例の原則は、職務質問や犯罪予防行為や制止行為や取り調べなど、警察官の全ての職務執行に及びます。比較的軽微な事案である迷惑防止条例違反の罪や少額の万引き事案に関して長時間の威圧的な取り調べはできません。ちなみに、「前項の目的」とは、「個人の生命、身体及び財産の保護、犯罪の予防、公安の維持並びに他の法令の執行等の職権職務を忠実に遂行する」ことです。

不要な捜査・・・刑事訴訟法189条2項の犯罪、警察法2条1項に定められた警察官の責務が無いのに捜査をすることはできません。刑事訴訟法189条2項では「司法警察職員は、犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものとする。」と規定していますし、警察法2条1項の責務は、「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ること」とされています。ご相談の事例では、女性からの痴漢被害申告がありますので一応警察官の責務は生じていることになります。他方、女性が精神疾患による妄想症で供述に矛盾を生じているなど虚偽告訴していることが明らかであるような場合には、犯罪事実が存在しないのに不当な捜査を行っているということになります。

不偏不党違反、公平中正違反の捜査・・・警察法2条2項に定められた警察の不偏不党原則に違反するような捜査や取り調べが行われた場合です。警察法2条2項では、「警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。」と定めています。特定の政党や政治的立場を利したり、または害したりすることを目的として捜査や取り調べをすることはできないということです。政権与党であっても野党であっても、肩入れしたり弾圧したりすることはできません。勿論、政治集会や演説会場においても刑法その他の刑罰法規は適用されますから、刑罰法規違反の犯罪行為の危険があればこれを予防しなければなりませんし、実行行為が認められれば犯人確保と捜査資料の確保が必要となります。この警察活動の場面で、政治的な立場の影響を受けて活動してはならないということです。これは個々の警察官の内心における政治信条を持ってはいけないということではありません。内心の政治信条の影響を受けずに公平中正に職務遂行して下さい、ということです。

供述の任意性を欠く取り調べ・・・犯罪発生の合理的な疑いがあり、被疑者や関係人の聴取を行い、その認否が明らかとなっているにも関わらず、繰り返し同じことを聴取する必要性は高くありません。必要性が無いのに威圧的な聴取を何回も、長時間にわたって繰り返した場合には、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度を超えた違法な取調べとなる可能性があります。犯罪捜査規範168条1項では、強制、拷問、脅迫その他供述の任意性について疑念をいだかれるような方法を用いてはならない、とされていますし、同条2項では、取調べを行うに当たつては、自己が期待し、又は希望する供述を相手方に示唆する等の方法により、みだりに供述を誘導し、供述の代償として利益を供与すべきことを約束し、その他供述の真実性を失わせるおそれのある方法を用いてはならない、とされています。また、同条3項では、「取調べは、やむを得ない理由がある場合のほか、深夜に又は長時間にわたり行うことを避けなければならない。この場合において、午後10時から午前5時までの間に、又は1日につき8時間を超えて、被疑者の取調べを行うときは、警察本部長又は警察署長の承認を受けなければならない。」とされています。1日につき8時間を超えるような取り調べがなされた場合には、供述の任意性に疑念を生じることになってしまうからです。

このような違法な取り調べを抑止するために、平成28年の刑事訴訟法の改正で、裁判員対象事案などの重大事案において取り調べの可視化(全過程の録画)が義務付けられました(刑事訴訟法301条の2第4項)。「被疑者の供述及びその状況を録音及び録画を同時に行う方法により記録媒体に記録しておかなければならない」とされました。

刑事訴訟法301条の2第4項(抜粋)検察官又は検察事務官は、第一項各号に掲げる事件について、逮捕若しくは勾留されている被疑者を第百九十八条第一項の規定により取り調べるとき又は被疑者に対し第二百四条第一項若しくは第二百五条第一項の規定により弁解の機会を与えるときは、次の各号のいずれかに該当する場合を除き、被疑者の供述及びその状況を録音及び録画を同時に行う方法により記録媒体に記録しておかなければならない。司法警察職員が、第一項第一号又は第二号に掲げる事件について、逮捕若しくは勾留されている被疑者を第百九十八条第一項の規定により取り調べるとき又は被疑者に対し第二百三条第一項の規定により弁解の機会を与えるときも、同様とする。

しかし、比較的軽微な、御相談のような痴漢事件や窃盗事件などでは未だに取り調べの可視化は法定されていません。勿論警察組織にも人的物理的資源には限りがありますので、全事件の取り調べを記録することは困難とも言えます。起訴前に私選弁護人が選任されていない事案では引き続き捜査の行き過ぎが行われる危険性が高いと懸念されます。被疑者が逮捕された事件では弁護士会による当番弁護制度がありますし、勾留された後は被疑者国選の制度がありますが、逮捕される前の任意の事情聴取の段階では、引き続き注意が必要です。逮捕されていない捜査の初期の段階でも、私選弁護人を選任する意義は大きいと言えるでしょう。

3、判例紹介

窃盗の疑いが怪しいのに、10日間にわたり連日7時間以上行われた任意の取り調べを違法と判断した裁判例を紹介します。

※奈良地裁令和5年8月31日損害賠償請求事件判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/338/092338_hanrei.pdf

『任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べは、事案の性質、被疑者に対する容疑の程度、被疑者の態度等諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において、許容されるものと解すべきである(最高裁昭和57年(あ)第301号同59年2月29日第二小法廷判決・刑集第38巻3号479頁参照)。

上記1の本件取調べのうち、同(1)(2)の取調べ(事情聴取)は、実弾の所在不明という重大事象が発生し、早期に事実関係を解明する必要がある状況下で行われたものであり、事態が発覚する直前に点検業務に当たった原告に対する事情聴取の必要性は高かったから、捜査官の発言に不穏当な部分はあるものの、その状況や態様等を勘案すると、社会通念上相当と認められる限度を超えた違法な取調べであったとまではいえない。

これに対し、同(4)から(11)までの取調べについてみると、同取調べ時には本件窃盗事件に関与していない旨の原告の言い分が明らかになっており、同じことを重ねて聴取する必要性は高くない。そして、奈良西署では実弾数を目視により確認しないなど杜撰な点検方法が常態化していたのであるから(そうであるからこそ発覚が遅れたのである。)、直前の点検業務に従事したことをもって原告のみに嫌疑をかけることに合理性はなく、むしろ、原告から実弾交換時の配布ミスや点検懈怠の可能性を指摘されていたのに、県警本部の警察官らは、これを真摯に検討した形跡がないことからすると、上記取調べの時点における原告に対する本件窃盗事件の嫌疑の根拠は薄弱であったといわざるを得ない。そうであるのに、同警察官らは、連日かつ長時間にわたり、原告を人格的に非難したり侮辱的言辞を用いたり、親族も対象に含めた強制捜査の可能性を示唆したりして、原告の不安や無力感を掻き立てながら、原告が犯人であるとの捜査官の見立てに間違いがないかのように繰り返し告げ、原告を心理的に追い詰めて、捜査側の薄弱な証拠を埋め合わせるように執拗に自供を迫っている。以上の諸事情に加え、その他取調べの態様等を勘案すると、同警察官らによる原告に対する上記取調べ(以下「本件違法取調べ」という。)は、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度を超えた違法な取調べであり、担当した警察官らは職務上の法的義務に違反したものというべきである。』

この事件は、警察署内の拳銃の実弾5発が紛失していると誤解した警察官により、「2月28日から3月8日までの間、3月6日を除き、連日約7時間から約10時間もの長時間に及ぶものであり、この間、原告は身柄拘束を受けてはいなかったものの、業務命令か否かも明らかではないまま(弁論の全趣旨)、自宅を訪れるなどした県警本部の警察官らから県警本部への同行や取調べを求められた」事案でした。犯罪事実が全く存在しない冤罪により、数十時間にも及ぶ長時間の取り調べが行われてしまい、被疑者は何度否認しても認めて貰えず、うつ病を発症してしまったものです。警察署の杜撰な管理体制なども認定され、被疑者側から「実弾交換時の配布ミスや点検懈怠の可能性」を指摘したが、捜査官が真摯に検討した形跡がないと認定されました。

次に、殺人事件の被疑者に対して任意の捜査であるのに5日かにわたり自宅以外の警察署の近所の宿泊施設に泊まらせて5日連日取り調べをしたことが任意捜査を超えた違法なものといえるか問題となった裁判例を紹介します。

※最高裁判所 昭和59年2月29日殺人被告事件判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/262/050262_hanrei.pdf

『右のような事実関係のもとにおいて、昭和五十二年六月七日に被告人を高輪

警察署に任意同行して以降同月一一日に至る間の被告人に対する取調べは、刑訴法一九八条に基づき、任意捜査としてなされたものと認められるところ、任意捜査においては、強制手段、すなわち、「個人の意思を抑圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など、特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段」(最高裁昭和五〇年(あ)第一四六号同五一年三月一六日第三小法廷決定・刑集三〇巻二号一八七頁参照)を用いることが許されないということはいうまでもないが、任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べは、右のような強制手段によることができないというだけでなく、さらに、事案の性質、被疑者に対する容疑の程度、被疑者の態度等諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし様態及び限度において、許容されるものと解すべきである。

3 これを本件についてみるに、まず、被告人に対する当初の任意同行については、捜査の進展状況からみて被告人に対する容疑が強まつており、事案の性質、重大性等にもかんがみると、その段階で直接被告人から事情を聴き弁解を徴する必要性があつたことは明らかであり、任意同行の手段・方法等の点において相当性を欠くところがあつたものとは認め難く、また、右任意動向に引き続くその後の被告人に対する取調べ自体については、その際に暴行、脅迫等被告人の供述の任意性に影響を及ぼすべき事跡があつたものとは認め難い。

4 しかし、被告人を四夜にわたり捜査官の手配した宿泊施設に宿泊させた上、前後五日間にわたつて被疑者としての取調べを続行した点については、原判示のように、右の間被告人が単に「警察の庇護ないしはゆるやかな監視のもとに置かれていたものと見ることができる」というような状況にあつたにすぎないものといえるか、疑問の余地がある。

すなわち、被告人を右のように宿泊させたことについては、被告人の住居たる C荘は高輪警察署からさほど遠くはなく、深夜であつても帰宅できない特段の事情も見当たらない上、第一日目の夜は、捜査官が同宿し被告人の挙動を直接監視し、第二日目以降も、捜査官らが前記ホテルに同宿こそしなかつたもののその周辺に張り込んで被告人の動静を監視しており、高輪警察署との往復には、警察の自動車が使用され、捜査官が同乗して送り迎えがなされているほか、最初の三晩については警察において宿泊費用を支払つており、しかもこの間午前中から深夜に至るまでの長時間、連日にわたつて本件についての追及、取調べが続けられたものであつて、これらの諸事情に徴すると、被告人は、捜査官の意向にそうように、右のような宿泊を伴う連日にわたる長時間の取調べに応じざるを得ない状況に置かれていたものとみられる一面もあり、その期間も長く、任意取調べの方法として必ずしも妥当なものであつたとはいい難い。

しかしながら、他面、被告人は、右初日の宿泊については前記のような答申書を差し出しており、また、記録上、右の間に被告人が取調べや宿泊を拒否し、調べ室あるいは宿泊施設から退去し帰宅することを申し出たり、そのような行動に出た証跡はなく、捜査官らが、取調べを強行し、被告人の退去、帰宅を拒絶したり制止したというような事実も窺われないのであつて、これらの諸事情を総合すると、右取調べにせよ宿泊にせよ、結局、被告人がその意思によりこれを容認し応じていたものと認められるのである。

5 被告人に対する右のような取調べは、宿泊の点など任意捜査の方法として必ずしも妥当とはいい難いところがあるものの、被告人が任意に応じていたものと認められるばかりでなく、事案の性質上、速やかに被告人から詳細な事情及び弁解を聴取する必要性があつたものと認められることなどの本件における具体的状況を総合すると、結局、社会通念上やむを得なかつたものというべく、任意捜査として許容される限界を越えた違法なものであつたとまでは断じ難いというべきである。』

これは、任意捜査の限界事例に関する有名な最高裁判決です。殺人罪という重大事件において、被疑者の行動の自由が残されており、被疑自身の意思で任意の取り調べに応じていたという事情のもとでは、5日間の宿泊を伴う連日の取り調べでも社会通念上やむを得なかったとされ得るということです。警察比例の原則に照らしても、重大犯罪における捜査の必要性が高まっていた事案でした。

警察による捜査、取り調べの違法が問題となった事案ではありませんが、警察官職務執行法3条4条に定められた警察官の緊急の避難や犯罪の防止のための行動の違法性が問題となった判例を紹介します。選挙演説の際のヤジなどを規制するため、警察官が対象者を移動させた事案ですが、表現の自由を侵害する違法な行為と認定され国家賠償が認められた事案です。

※札幌地方裁判所令和4年3月25日国家賠償請求事件判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/107/091107_hanrei.pdf

『これまで判断したとおり、警察官らによる、①原告1の肩や腕をつかんで地

点1から地点2と地点3の中間付近まで移動させた行為(本件行為1(1))、②原告1の肩や腕をつかんで地点6から地点7まで移動させた行為(本件行為1(3))、③原告2の肩や腕などをつかんで地点①から地点③まで移動させた行為(本件行為2(1))、④原告2の両腕に手を回すなどして引き留めて制止し、また札幌駅南口広場からTSUTAYA札幌駅西口店まで追従して付きまとった行為(本件行為2(2))、⑤原告2をTSUTAYA札幌駅西口店からTSUTAYA札幌大通店付近まで追従して付きまとった行為(本件行為2(3))は、いずれも国家賠償法1条1項の適用上、違法というべきものである。そこで、以下、これらの各行為による損害発生の有無及びその額について検討する。

(1) 表現の自由の侵害(原告1及び2)

ア 主権が国民に属する民主制国家は、その構成員である国民がおよそ一切の主義主張等を表明するとともに、これらの情報を相互に受領することができ、その中から自由な意思をもって自己が正当と信ずるものを採用することにより多数意見が形成され、かかる過程を通じて国政が決定されることをその存立の基礎としている。

したがって、憲法21条1項により保障される表現の自由は、立憲民主政の政治過程にとって不可欠の基本的人権であって、民主主義社会を基礎付ける重要な権利であり、とりわけ公共的・政治的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならない(最高裁昭和61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁、最高裁令和4年2月15日第三小法廷判決・裁判所時報1785号6頁参照)。

イ 本件においてこれをみるに、原告らはいずれも「安倍辞めろ」、「増税反対」などと声を上げていたところ、これらは、その対象者を呼び捨てにするなど、いささか上品さに欠けるきらいはあるものの、いずれも公共的・政治的事項に関する表現行為であることは論をまたない。

しかるに、原告らは、このような表現行為を開始してわずか10秒程度で、警察官らによって肩や腕をつかまれて移動させられ(原告1及び2)、また相当程度の距離及び時間にわたって付きまとわれたものである(原告2)。そして、これまでみてきたとおり、これらの警察官らの行為が警職法4条1項、5条等の要件を充足するものではない以上、警察官らの行為は、原告らの表現行為の内容ないし態様が安倍総裁の街頭演説の場にそぐわないものと判断して、当該表現行為そのものを制限し、また制限しようとしたものと推認せざるを得ない。このことは、警察官ら自らが、原告らに対し、「演説してるから、それ邪魔しちゃだめだよ。」、「選挙の自由妨害する。」(上記1(3)カ)、「だっていきなり声上げたじゃーん。」、「急に大声上げたじゃん。」、「聞きたいこと聞けなくなっちゃうっしょ、ね。」(上記1(4)ウ)などと発言していたことからも明らかである。

したがって、警察官らの行為は、原告らの表現の自由を制限したものというべきである。

ウ もっとも、表現の自由といえども無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による合理的で必要やむを得ない限度の制限を受けるものである。

しかし、この点につき被告は、原告らの表現行為自体が、例えば安倍総裁及びその関係者らの選挙活動をする自由を侵害しているとか、聴衆において街頭演説を聞く自由を侵害しているなどといった特段の主張はしておらず、ただ警察官らの行為が警職法4条1項、5条等の要件を充足するとの主張をしているにすぎないし、しかも、これまでみてきたとおり、かかる主張はいずれも採用することができない。

念のために検討しても、原告らの表現行為の内容及び態様は、殊更に特定の人種又は民族に属する者に対する差別の意識、憎悪等を誘発し若しくは助長するようなものや、生命、身体等に危害を加えるといった犯罪行為を扇動するようなものではなく(前掲・最高裁令和4年2月15日第三小法廷判決参照)、選挙演説自体を事実上不可能にさせるものでもないのであって(最高裁昭和23年6月29日第三小法廷判決・刑集2巻7号752頁参照)、原告らの受けた制限が、公共の福祉による合理的で必要やむを得ないものであったなどと解することは困難である。

エ そして、表現の自由に関して被告が他に特段の主張をしていない以上、原告らの表現の自由は、警察官らによって侵害されたものというべきである。

(2) 移動・行動の自由、名誉権及びプライバシー権の侵害(原告2)

ア 移動・行動の自由について

本件において、警察官らは、徒歩で移動していた原告2に対し、札幌駅南口広場からTSUTAYA札幌駅西口店まで追従して付きまとい、さらに同店からTSUTAYA札幌大通店付近まで追従して付きまとったものであって、その距離は被告の主張によっても合計約2.2km、その時間は被告の主張によっても合計40ないし60分にも及んでいたものである。

そして、その間、警察官らは、原告2の両腕に手を回したり、何度も原告2の前に立ちふさがったりしたほか、原告2に話しかけ続けていたのであって(甲38、47)、実際、原告2は警察官らに「動きようがない。」、「自由にしたいのに。」、「私の移動の自由を侵害している。」、「私の行きたいところに行きたいよ。」などと発言していたところである(上記7(1)イ)。

したがって、警察官らは、原告2の移動・行動の自由を制限していたものであり、この点につき被告が他に特段の主張をしていない以上、原告2の移動・行動の自由は、警察官らによって侵害されたものというべきである。

イ 名誉権について

上記のとおり、警察官らは相当程度の距離、時間にわたって原告2に付きまとい、原告2に話しかけ続けていたものである。

そして、警察官らが話しかけていた内容に加え、①警察官らが付きまとっていたのは、JR札幌駅南口付近の路上や札幌駅前通など、人通りの比較的多い場所であったこと(別紙6)、②警察官らは比較的大きくてよく通る声で原告2に話しかけ続けていたこと(甲38)、③「嫌われ者だからね、警察官」、「さっきも警察の法律の話したけれども、公共の安全とか」などと、自らが警察官である旨を明らかにしていたこと(甲38、47)、などを併せると、警察官らの付きまとい行為は、通行人らに対し、原告2が何らかの犯罪を犯そうとする不審者であり、警察官らに追従されて説得を受けているとの印象を与えるものであって、原告2の社会的評価を低下させるものといわざるを得ない。

そして、この点につき被告が他に特段の主張をしていない以上、原告2の名誉権は、警察官らによって侵害されたものというべきである。

ウ プライバシー権について

さらに、原告2は、警察官らにより行動を把握されることにより、プライバシー権を侵害されたと主張する。

上記のとおり、警察官らは相当程度の距離、時間にわたって原告2に付きまとい、その際、JR札幌駅の西側高架下の建物に入り、更にTSUTAYA札幌駅西口店の入口付近まで入っていくなどしたものであり(上記1(4)イ)、このような行為は、単なる公道にとどまらない領域を含めて、原告2の行動を長時間にわたり継続的に把握することとなるものであって、原告2の社会生活上の受忍限度を超えるものというべきである。

そして、この点につき被告が他に特段の主張をしていない以上、原告2のプライバシー権は、警察官らによって侵害されたものというべきである。』

この判例は、街頭演説に対して路上等から「〇〇辞めろ」、「増税反対」などと声を上げたところ、北海道警察の警察官らに肩や腕などをつかまれて移動させられたり、長時間にわたって付きまとわれたりしたと主張して、国家賠償法1条1項に基づき、損害賠償を求めた事案でした。裁判所は、当時、「生命若しくは身体」に危険を及ぼすおそれのある「危険な事態」にあったとか(警察官職務執行法4条1項)、「犯罪がまさに行われようと」していた(同法5条)などとは認められないことを踏まえ、警察官らの行為につき国家賠償法1条1項の適用上違法であり、原告らの表現の自由等の権利を侵害するものと判断して、原告らの請求を一部認容しました。ソーシャルワーカーの男性と大学生の女性、原告2名に対して、それぞれ33万円と55万円の賠償命令が判決で命ぜられました。原告らは、ヤジ発言をしてから10秒程度で、肩や腕などをつかまれて、数メートルから数十メートル移動させられていました。街頭演説は、演説する者にとっても、聴衆側にとっても、民主政の過程において重要な場面ですから、警察法1条で「民主的理念を基調とする警察の管理と運営を保障し」と定める通り、警察組織は、これを尊重すべき責務を負っていると解されたと考えられます。公衆の面前で政治的意見を発言することは民主制の過程を担保する重要な表現行為であり、営業の自由など経済的自由に比べて尊重すべき権利とされているのです。これを、「表現の自由の優越的地位」と言います。このように、警察官の捜査や職務執行の必要性と許容性は、市民側の保護すべき法益との利益衡量により、個々の場面で大きく変化することが分かります。

4、まとめ

御相談のケースでは、全く身に覚えのない痴漢行為を疑われて、正式な逮捕ではないにしても任意同行を求められ、約半日にわたって半ば脅迫的な取り調べを受けさせられたということです。

あなたは全ての被疑事実を否認し、これを供述調書として記録されたということですが、この取り調べが何日にもわたって繰り返されている段階には至っていないようです。ですから今の時点で、違法な捜査とは言えないでしょう。今後も何日も取り調べが続くようでしたら、次のような事情があったのか、今後のために記録しておくのが良いでしょう。

あなたに有利となり得る事情を列挙致しますので参考になさって下さい。これらの事情があるかどうか、御確認なさってみて下さい。

・あなたが疑われている罰条が条例違反など罰金刑の比較的軽微なものであること。

・満員電車の中で腕を掴まれた時に現に女性に触れていなかったので、女性が犯人以外の乗客の腕を掴んだ可能性があるなど、容疑の根拠が薄い場合。

・あなたが否認しているのに、被害女性の証言以外の人証や物証がない事。

・あなたの政治的な発言などがあった場面(表現の自由保障が問題となる場面)において任意捜査に発展したこと。

・多くの通行人の前で長時間にわたって警察官につきまとわれ、通行人らに対し、あなたが何らかの犯罪を犯そうとする不審者であり、警察官らに追従されて説得を受けているとの印象を与えるものであって、あなたの社会的評価を低下させるもの(名誉権侵害)であったこと。

・あなたがトイレに行く時まで付きまとわれた、面会する人物を記録されたなどプライバシー権が問題となる方法で任意捜査が行われたこと。

・あなたが被害者の供述の矛盾点を具体的に指摘しているなど、追加捜査の必要性を主張しているのに、警察が追加の捜査を行っていないこと。

・同じことを何度も重ねて聴取された。任意の取り調べの回数や時間が増加していること。午後10時から午前5時までの間に、又は1日につき8時間を超えて、取り調べを受けたこと(犯罪捜査規範168条3項)。

・被疑者を人格的に非難したり侮辱的言辞を用いたり、親族も対象に含めた強制捜査の可能性を示唆したりして、被疑者の不安や無力感を掻き立てながら、被疑者が犯人であるとの捜査官の見立てに間違いがないかのように繰り返し告げ、被疑者を心理的に追い詰めて、執拗に自供を迫ったこと。

・執拗な捜査や取り調べの結果、あなた自身が精神のバランスを崩し、うつ病を発症するなどして医師の診断書を取得していること。

・「生命若しくは身体」に危険を及ぼすおそれのある「危険な事態」にあったとか(警察官職務執行法4条1項)、「犯罪がまさに行われようと」していた(同法5条)などとは認められない状況であったこと。

・任意の取り調べと言っても、外出や帰宅が許されず、ホテルに宿泊させられたり、身体の拘束があるなど、事実上の強制捜査に至っていたこと。

・逮捕されたり強制捜査を受けたわけでもないのに、長時間の取り調べを受けたことにより勤務先を解雇されてしまった、収入が減ってしまったなどの不利益を受けた場合。

一般論となりますが、お伺いした事情のように数時間の一度の取り調べだけであれば、取り調べの違法性までは認められることが難しいと思われます。取り調べの違法性を主張するよりも、弁護士の起訴前弁護を依頼し、速やかな嫌疑の解消に努めた方が良いと思います。お困りであれば一度お近くの法律事務所に御相談なさって下さい。

関連事例集

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※参照判例

奈良地方裁判所民事部令和5年8月31日判決

令和4年(ワ)第296号 損害賠償請求事件

口頭弁論終結日 令和5年6月13日

判 決

(当事者の表示:略)

主 文

1 被告は、原告に対し、355万8375円及びこれに対する令和4年7月14日から支払済みまで年3%の割合による金員を支払え。

2 原告のその余の請求を棄却する。

3 訴訟費用は、これを3分し、その2を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第1 請求

被告は、原告に対し、820万7647円及びこれに対する令和4年7月14日から支払済みまで年3%の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要

1 本件は、奈良県内の警察署に所属する警察官である原告が、同警察署において発生したとされる拳銃実包(実弾)の窃盗事件の被疑者として奈良県警察の警察官から受けた取調べが違法であると主張して、被告に対し、国家賠償法(以下「国賠法」という。)1条1項に基づき、損害金合計820万7647円及びこれに対する違法な取調べ終了後の日である令和4年7月14日以降の民法所定の年3%の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

2 前提事実(当事者間に争いのない事実並びに掲記の証拠〔枝番を含む。〕及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)

(1) 奈良県警察奈良西警察署(以下「奈良西署」という。)の職員は、令和4年1月7日午前10時半頃、拳銃の手入れのため奈良西署内の拳銃保管庫に入った際、実弾5発が不足していることに気付いた。不足の原因は、奈良県警察本部(以下「県警本部」という。)が令和2年11月の実弾交換(配分)時に納入数量を誤ったことにあり、納入時の確認懈怠によるものであるが、その後の定期点検や日々の点検も適切に行われていなかったため、不足していることの発覚が遅れた。奈良県警察(以下「県警」という。)は、奈良西署内で実弾5発が紛失したものと誤認し、令和4年1月7日(以下、特に断らない限り、年は令和4年を指す。)、その旨発表し、事実関係について徹底した調査を行う方針を明らかにした。(甲1、12、弁論の全趣旨)

(2) 紛失報告後、警察職員が奈良西署内や管内の交番等を調べたが、実弾の発見に至らなかった。そのため、1月7日午前5時40分頃、拳銃保管庫内において1人で実弾数の点検業務(当番の職員が毎日行うもの)に従事し、異常なしとの報告をしていた原告に実弾窃盗の嫌疑がかけられた(以下、この嫌疑に係る事件を「本件窃盗事件」という。)。なお、原告は、上司に指導されたとおり、目視による実弾の確認をしない方法で点検したため、不足に気付かず、その直後に同上司がしたダブルチェックでも不足は判明しなかった。(甲1、10、弁論の全趣旨)

(3) 原告は、1月9日に奈良西署の警察官から、同月14日には県警本部の警察官から、それぞれ本件窃盗事件の取調べ(事情聴取)を受け、その際携帯電話機を任意提出したほか、2月28日から3月8日までの3月6日(日曜日)を除く8日間、県警本部の警察官から本件窃盗事件の被疑者として取調べを受け(以下、これらの取調べ(事情聴取)を「本件取調べ」という。)、2月28日深夜には、自宅の捜索を受けた(弁論の全趣旨)。

(4) 原告は、3月9日、選任した弁護人(原告訴訟代理人弁護士)の助言に従い、医療機関を受診し、鬱病により加療を要するとの診断を受けた。弁護人は、同日、奈良西署に対し、診断結果とともに、同日の取調べには応じられず、今後弁護人が原告への連絡窓口になることを伝えた。原告は、同日以降、病気休暇を経て9月末まで休職した。その間、復職に向けた調整が行われる中、6月20日に県警本部において、弁護人同行の下、原告に対する最後の取調べが行われ、これをもって原告に対する捜査は終了した。(甲5、6、21、弁論の全趣旨)

(5) 4月以降、県警内部での調査の結果、実弾5発の不足の原因は令和2年11月の実弾配布時の過誤によるものであって、本件窃盗事件はおろか実弾の紛失すら発生していなかったことが判明した。県警は、7月14日、原告に対してその旨説明して謝罪した(甲12、弁論の全趣旨)。

3 争点及び当事者の主張

本件窃盗事件について原告に対して行われた本件取調べにつき国賠法上違法な部分があったことに争いはなく、そのことについて捜査を担当した警察官らに少なくとも国賠法上の過失があったことにも争いがない。本件の主な争点は、原告の損害額であり、これについての当事者の主張は以下のとおりである。

(1) 原告の主張

原告が本件取調べを含む捜査を受けた日々の不安や恐怖、怒り、無念さからすれば、原告の精神的苦痛に対する慰謝料は500万円を下らない。

また、原告は、本件窃盗事件の刑事弁護費用として88万円を支出したほか、本件取調べにより、鬱病を発症し、医療費として2万4420円を支出した上、休職を余儀なくされ、復職後も時短勤務や職務内容を制限されたことにより、令和4年4月から令和5年4月までの間、休職前と比較して賃金が合計165万3955円減少した。

これらのほか、本件訴訟に係る弁護士費用を加えると、原告の損害は、合計820万7647円である。

(2) 被告の主張

賃金減少額は認める。慰謝料が発生することは認めるが、その額は争う。刑事弁護費用、医療費及び本件弁護士費用は不知又は争う。

第3 当裁判所の判断

1 認定事実

前提事実に証拠(甲3、21のほか後掲証拠)及び弁論の全趣旨を総合すると、本件取調べの時間、経過及び態様等について、以下の事実が認められる。

(1) 1月9日

原告は、1月8日から休暇を取得して家族で京都旅行に出掛け、翌9日午後9時頃、帰宅したところ、原告宅付近で原告の帰宅を待っていた奈良西署刑事課課長A(以下「A警察官」という。)及び同課署員から、奈良西署内の原告のロッカーと机の確認のための立会いを求められた。原告は、これに応じ、両名に連れられて警察車両で奈良西署に向かったが、道中、A警察官から、「お前がやったことやから。やってんなら分かるやろ。」などと原告が実弾紛失に関与しているかのように言われた。

原告は、署内の机とロッカーを調べられた後、取調室で事情聴取を受け、その際携帯電話機を任意提出した。原告は、紛失した実弾が充填されていた拳銃の管理者を尋ねたところ、A警察官から、「犯人にこっちの手札を教えるわけないやろ。」「お前がやったんやろ。」などと実弾紛失に係る嫌疑を告げられ、否定するも、「早く言わな、本部の捜査一課に上げるぞ。」「捜査一課に行ったらこっちの手は離れるぞ。」「後からやりましたと言われへんぞ。」などと追及され、再度否定すると、「じゃあ、お前はそういう態度で通すねんな。今日は帰れ。」

などと言われて取調べを打ち切られた。取調べが終了したのは午後11時頃であり、原告は、奈良西署刑事課署員運転の車で帰宅した。

(2) 1月14日

原告は、同日午前に護送業務に従事中、奈良西署留置管理課署員から同行を求められて急遽奈良西署に戻ったが、その際、同署員から「刑事課長からタマに飛ばれるなよ、と言われているので逃げないでくださいね。」と言われた。原告は、午前10時35分頃から午後0時頃までの間、奈良西署の相談室において、県警本部刑事部捜査第一課のB巡査部長(以下「B警察官」という。)から、1月6日の出来事や署長の拳銃を触ったかなどについて事情聴取を受け、署長の拳銃に触れたことはないなどと答えた。原告は、この日も携帯電話機を任意提出した。

B警察官と県警本部刑事部捜査第一課警部補C(以下「C警察官」という。)は、原告の勤務終了する午後5時頃、携帯電話機の解析(Googleマップのロケーション履歴及びLINE履歴の取得と解析)に立ち会わせるため、原告を同乗させて車で県警本部に向かった。車中での待機中、原告は、「後出しで申し訳ないが、午前中の聴取で署長の拳銃に触ったことはないと言ったが、昨年の12月の点検の際、副署長の指示で、署長と副署長の拳銃2丁を保管庫から出したことがあり、その時、署長の拳銃に触っている。」などと申し出たところ、供述の変遷であると指摘された。

携帯電話機の解析は午後10時までには終了し、原告は、警察官運転の車で帰宅した。

(3) 1月下旬頃

原告は、その後も奈良西署で通常勤務を続けていたが、精神的に辛くなったため、上司に対して、嫌疑をかけられてしんどいので休みたいなどと相談したところ、他の上司から、2月までは休みを取らないでほしいと言われ、休暇取得を断念した。

(4) 2月28日(県警本部での取調べ1日目)

原告は、午前8時20分頃、奈良西署に出勤しようとしたところ、待ち伏せしていたB警察官及びC警察官らから県警本部への同行を求められた。原告は、県警本部で、所持品検査に応じたほか、嫌疑を晴らすため、ポリグラフ検査、口腔内細胞摂取及び携帯電話のデータ抽出に応じた。

県警本部刑事部捜査第一課D警視(以下「D警察官」という。)は、ポリグラフ検査の後、「結果が出た。お前や。」などと原告を犯人と断定した。また、取調べを担当したB警察官は、原告夫婦の貯金や死亡した親族の調査をしたとか、原告の行動確認をしていたことを示唆する発言をした上、「お前、このまま黙ってれば職場復帰できると思ってるやろ。もう無理やからな。どっちにしろ辞めなあかんくなる。」などと原告には退職するしか選択肢がないかのような発言をした。原告は、実弾交換時の配布ミスや点検懈怠の可能性を指摘したが、B警察官らは、点検ミスはあり得ないなどと言って聞き入れなかった。

その後、午後11時10分から翌3月1日午前0時13分まで、原告宅の捜索が実施され、タブレット端末1台が押収された(甲4)。捜索を終えたD警察官は、原告に対し、「これだけのことしてるということは、そんだけのものが上がってる、ということや。」などと原告に対する嫌疑に合理的な根拠があるかのような発言をし、今後、県警本部監察課の警察官らが原告方マンションの駐車場に車を停めて交代で原告宅を監視すること、外出の際は事前に妻の携帯電話で連絡すること、取調べが終わるまで自宅から県警本部まで捜査員らが送迎することなどを伝えた。以後、原告に対する24時間の監視及び取調べのための県警本部への往復の送迎が3月5日まで続いた。

(5) 3月1日(県警本部での取調べ2日目)

B警察官は、前夜の捜索で証拠が発見されなかったことについて、「いくらでも隠す場所はある。ガサで出なかったとしても(捜索は)終わらない。」などと述べ、親族宅の捜索の可能性をちらつかせるなどして原告に実弾の隠し場所の自供を迫ったり、分厚い捜査資料を持ち出して逮捕状請求が時間の問題であるかのように告げたりした。また、原告を知る他の警察官らが原告を怪しんでいるなどと告げ、原告が止めるように懇願しても聞き入れず、「あいつならやると思っていた」、「名前は言われへんけど、同期何人もお前のLINEブロックしている」、「犯罪者の目をしている。」など原告に対して悪印象を抱いている旨の周囲の警察官らの陳述内容を執拗に読み上げた。このように原告の人格を非難したり、侮辱的な言辞を繰り返したり、精神的に追い詰めて自供を迫ったりする取調べは、その後も同様に行われた。

(6) 3月2日(県警本部での取調べ3日目)

取調べ前の所持品検査では、原告が持参した所持品全てを開被され、食べ物に至るまでくまなく検査された。

取調べでは、B警察官が、原告には双極性障害やADHDの特徴があるなどと合理的な根拠もないのに障害の疑いを告げ、実弾紛失発覚前後の原告の行動を挙げ連ね、「行動がおかしいからお前に行きついとんねん。」、「他の人に目を向けてください、それ通用せえへん。」、「お前みたいな行動、ゼロ人。」、「行動がおかしいのが何よりちゃうん?」、「精神状態がおかしい。まともじゃない。」、「お前の反応はおかしいよと(ポリグラフ検査の結果に)出ている。」、「科学の力や。」、「(ポリグラフ検査の結果は)鑑定書という形で最終証拠になる。」、「もう(犯人は)お前しかおらへんやんか。」など、侮辱的な言辞を用いて原告を犯人と断定して自供を迫った。

(7) 3月3日(県警本部での取調べ4日目)

原告は犯行を否認したが、取調官は、「お前しかおらん。嘘つくな。」と怒鳴り、「嫁にも愛想つかされ、家族にも見放され、嘘つきのまま独りぼっちで後悔して死ぬんか。」などと家族との断絶の不安をあおって自供を迫った。

(8) 3月4日(県警本部での取調べ5日目)

取調官は、「同期がお前のことどう思っているか知ってるか?」、「LINEも何人も(お前のこと)ブロックしてる。」「〇〇(原告の仲の良い同僚)は、嘘つきやから構いたくないと言ってるぞ。」などと、他の警察官から聴取したという原告の悪評を告げたり、「双極性障害かもしらんから、自分の行動をよく思い出せ。」と根拠のない障害の疑いを持ち出したりして自供を迫った。また、「犯人やったとしたら、探して欲しいところはないのか。」「例えばの話でいいから。」「日常会話やんか。なんで言われへんねん。やましいことあるんか。」と隠匿場所に関する供述を引き出そうとした。

(9) 3月5日(県警本部での取調べ6日目)

取調官は、原告の過去の勤務中の不適切な行動を挙げ連ね、実弾紛失発覚前後の原告の行動についてについて尋ね、「こうしている間にも、過去の件の捜査はどんどん進んでいる。はよせんと時間ないで。」などと強制捜査が間近であるように告げた。C警察官は、「お前が犯人やと考えて、ふと頭に浮かぶ景色や、行ったことない場所でフラッシュバックで蘇る風景を現場見取り図で描いてよ。」「自分やったらこう隠すかな、という図を描いて。例えば、一斉捜索していない場所とか、銃弾があるかもしれない場所。」と言い、原告に警察署周辺の地図を描かせ、日付の記入と署名をさせた。原告が「これ、犯行現場案内ちゃいますん?」と聞くと、C警察官は「お前が記憶から消してる場所か、別の人格が隠してる場所かもしれんから。言ってくれたらそこ人集めて中心的に探す。」と告げ、5か所の地図を作成させた。

また、帰宅時には、警察官から「一日やるから、家族と話し合ってよく考えろ。」と言われた。

同日は、原告の妻も、参考人として県警生駒警察署に呼び出されてB警察官から事情聴取を受け、「あいつは、しょうもないことはよく覚えてて、大事なことを忘れているので記憶が飛んでる可能性がある。そういうのって、ADHDや双極性障害の特徴だからね。」などと原告に対する障害の疑いを告げられた。

(10) 3月7日(県警本部での取調べ7日目)

原告は、前回の取調べ後に幹部警察官らから指示されたとおり、この日から電車を利用して県警本部に出頭することとなった。

取調官は、実弾紛失発覚前後の原告の行動を挙げ連ね、「犯人の行動でしかない。」、「(犯人でないとしたら)矛盾している。」、「普通の人はそうならない。」などと捜査側の思い込みを押し付けた。

この日は取調べが長引いたため、D警察官に原告宅まで送り届けられたが、帰り際には、「よう考えろよ。」と言われた。

(11) 3月8日(県警本部での取調べ8日目・最終日)

取調官は、「徹底的にやる。」、「色んな罪名を掘り下げて何度でも逮捕する。」と述べ、B警察官は、「お前こうしてる間にもお前の捜査は進んでる。俺が何とか止めてるけど、早く言わな、お前が恐れている最悪の結果になるで。うちの調査監(D警察官)、ほんまに怖いからな。」と自供しないと強制捜査が続き、不利益が大きいことを告げた。追い詰められた原告が「言いたいことは分かりますけど、盗んだなんて記憶全くないです。もうパクってください。」と述べると、C警察官は、「分かった。パクったるから待っとけ。」と応じた。B警察官は、「今までも同じように嘘ついていたやつも、浮気とかどんなやつとか全部周りの人に聞いて徹底的にやった。そして、そういうやつは結局自供した。」

と、過去の事件を引き合いに、原告を更に追い詰めることを示唆した。それでも原告が否認すると、B警察官は、「まあ聞けって。このままやとお前もそうなるぞ、って話。お前も、この仕事辞めて、早く別の仕事したいんやろ?2か月3か月留置おったらそれこそスタート遅れるし、しんどくなるで。だから全部今のうち言うとけ。早くせな、Dさんもいつまでも待ってへんで。」と将来の不安を掻き立てるような発言をしたり、「ほぼ皆お前を怪しいと思っている。」

「目がやばい。」「おどおどしている。」「話が通じているか分からない。」「サイコパス」などの周囲の悪評を繰り返したりし、「昼休憩中、お前いつも取調室の窓から監視されてるの知ってるか?」と監視状態にあることを意識させ、原告が「仕事辞めたいです。」と言うと、「この問題終わるまで無理。」と、自供する以外の選択肢がないかのように告げて原告を追い詰めた。

(12) 2月28日から3月8日までの県警本部における取調べの時間

本件取調べのうち2月28日から3月8日までの県警本部における取調べの時間は、別紙「取調べ時間一覧表」記載のとおりである。

2 争点に対する判断

任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べは、事案の性質、被疑者に対する容疑の程度、被疑者の態度等諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において、許容されるものと解すべきである(最高裁昭和57年(あ)第301号同59年2月29日第二小法廷判決・刑集第38巻3号479頁参照)。

上記1の本件取調べのうち、同(1)(2)の取調べ(事情聴取)は、実弾の所在不明という重大事象が発生し、早期に事実関係を解明する必要がある状況下で行われたものであり、事態が発覚する直前に点検業務に当たった原告に対する事情聴取の必要性は高かったから、捜査官の発言に不穏当な部分はあるものの、その状況や態様等を勘案すると、社会通念上相当と認められる限度を超えた違法な取調べであったとまではいえない。

これに対し、同(4)から(11)までの取調べについてみると、同取調べ時には本件窃盗事件に関与していない旨の原告の言い分が明らかになっており、同じことを重ねて聴取する必要性は高くない。そして、奈良西署では実弾数を目視により確認しないなど杜撰な点検方法が常態化していたのであるから(そうであるからこそ発覚が遅れたのである。)、直前の点検業務に従事したことをもって原告のみに嫌疑をかけることに合理性はなく、むしろ、原告から実弾交換時の配布ミスや点検懈怠の可能性を指摘されていたのに、県警本部の警察官らは、これを真摯に検討した形跡がないことからすると、上記取調べの時点における原告に対する本件窃盗事件の嫌疑の根拠は薄弱であったといわざるを得ない。そうであるのに、同警察官らは、連日かつ長時間にわたり、原告を人格的に非難したり侮辱的言辞を用いたり、親族も対象に含めた強制捜査の可能性を示唆したりして、原告の不安や無力感を掻き立てながら、原告が犯人であるとの捜査官の見立てに間違いがないかのように繰り返し告げ、原告を心理的に追い詰めて、捜査側の薄弱な証拠を埋め合わせるように執拗に自供を迫っている。以上の諸事情に加え、その他取調べの態様等を勘案すると、同警察官らによる原告に対する上記取調べ(以下「本件違法取調べ」という。)は、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度を超えた違法な取調べであり、担当した警察官らは職務上の法的義務に違反したものというべきである。

これを前提にすると、原告の損害は、以下のとおりであると認められる。

(1) 慰 謝 料 70万0000円

本件違法取調べの時間は、別紙「取調べ時間一覧表」のとおり、2月28日から3月8日までの間、3月6日を除き、連日約7時間から約10時間もの長時間に及ぶものであり、この間、原告は身柄拘束を受けてはいなかったものの、業務命令か否かも明らかではないまま(弁論の全趣旨)、自宅を訪れるなどした県警本部の警察官らから県警本部への同行や取調べを求められたものであって、現職の警察官という立場上、取調べを拒否することは事実上困難であったものといえる。

そして、犯罪の予防や捜査を責務とする警察官が自らの職場における犯罪の被疑者であると疑われること自体が多大な精神的負担を伴うものであるところ、その取調べの態様は、前記のとおりであり、県警本部の警察官らは、原告に対する嫌疑の根拠は薄弱であるのに、犯人であると断定し、原告の人格的尊厳を傷つける発言を繰り返して自供を迫ったのであり、その結果、原告は鬱病を発症するに至ったのである。

これらの事情に加えて、事件性の誤認の原因は県警本部による実弾配分時の確認不足及びその後の奈良西署内における杜撰な点検体制の継続にあること、他方で、原告は身柄拘束を受けておらず、本件違法取調べの約4か月後には無実であることが判明して県警の謝罪を受けたこと、その他本件に現れた一切の事情を踏まえると、本件違法取調べにより原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は70万円と認めるのが相当である。

(2) 刑事弁護費用 88万0000円

原告は、本件違法取調べにより精神的に追い詰められた結果、弁護人に本件窃盗事件の弁護活動を依頼することを余儀なくされ、弁護人に対し、その着手金及び成功報酬として88万円を支払ったものであると認められるところ(甲14、21)、弁護人選任後の原告に対する捜査の状況、上記費用の相当性についての被告の認否の状況等を踏まえると、上記刑事弁護費用は全て本件違法取調べと相当因果関係がある損害と認めるのが相当である。

(3) 医 療 費 2万4420円(甲15)

原告は、本件違法取調べにより鬱病を発症したものと認められるから、その治療にかかった上記金額は、本件違法取調べと相当因果関係のある損害であると認められる。

(4) 賃金減少 額 165万3955円(争いがない。)

(5) 弁護士費 用 30万0000円

前記(1)から(4)の合計額に加えて、本件事案の内容、本件訴訟の経過等に照らせば、本件取調べと相当因果関係のある弁護士費用は30万円と認めるのが相当である。

(6) 合 計 355万8375円

以上によれば、本件違法取調べと相当因果関係のある原告の損害額は、合計355万8375円である。

第4 結論

よって、原告の請求は上記金額及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから同限度でこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。なお、被告による仮執行免脱宣言の申立ては相当ではないから、これを却下する。

以上