厚生労働省の過労死認定基準について
民事|過労死認定基準2021年9月改正|過労死等防止対策推進法|労働者と使用者の利益対立
目次
質問:
私は、調理師の資格を持っており、5年前に、居酒屋チエーン店を経営する会社に正社員として採用されました。ターミナル駅近くの居酒屋で調理師として勤務しています。この居酒屋はランチタイムもあり、私の出勤時間も午後の早い時間が多く、閉店後も後片付けや翌日の準備で明け方近くまで働くことも多々ありました。残業時間も相当な時間になりました。私は店で働いているとき突然めまいがし、倒れてしまい、そのまま救急車で病院に運ばれました。診断は脳出血とされ、今でも片腕に麻痺が残っています。そのため、調理の仕事も上手くできません。知人から労災が認められるのではないか、と聞き、調べてみました。厚生労働省の基準によると、労災が認定されるためには直近の2~6か月間で月80時間の労働が必要とされていますが、私の場合、計算すると月75時間でした。私の場合も労災が認定され、補償を受けられるのでしょうか。
回答:
1 調理師の方で、残業時間の平均が直近2~6か月で最大75時間、不規則な深夜勤務などの負荷を総合考慮し、労働基準監督署が労災を認定した事例があります。ご相談の場合も、労災と認定される可能性が高いと考えられます。
労災保険制度は、労働者の業務上の事由または通勤による労働者の傷病等に対して必要な保険給付を行い、あわせて被災労働者の社会復帰の促進等の事業を行う制度です。しかし、過労死等の場合は、業務上の事由によるものか否か判断が難しいため、過労死等防止対策推進法で「過労死等」の定義が定められています(同法第2条)。
2 労災認定の際、長時間の労働が脳・心臓疾患の発症の原因と言えるかどうかを判断する基準となる過労死ラインは、傷病発生時の(1)直近の1か月で残業100時間、(2)直近の2~6か月間で残業が平均80時間、などとされていました。
3 厚生労働省は、過労死等について具体的な認定基準を定めていますが、2021年9月に過労死等認定基準を改定しました。上記残業時間に満たない場合でも、上記残業時間に近く、また、休日のない連続勤務や勤務間インターバルの短い勤務、心理的負荷、身体的負荷などを総合的に判断して、労災を認定できるものとしました。
4 この過労死認定基準については以下で解説します。
5 労災に関する関連事例集参照。
解説:
第一 労働関連法規の考え方と労災補償制度について
1 資本主義社会においては私的自治の基本である契約自由の原則から、労働契約は使用者・労働者が納得して契約するものであれば、不法な契約内容でない限り、どのような内容であっても許されると考えられます。
2 しかし、使用者は経済力を有し、労働者に比べて優越的地位にあり、立場上有利にあるのが一般的です。他方、労働者は労働の対価として賃金の支払いを受けて生活するため、労働者を長期にわたり拘束する契約でありながら、労働者は使用者と常に対等な契約を結べない可能性があります。
3 こうした使用者優位、労働者不利の状況は、個人の尊厳を守り、人間として値する生活を保障した憲法13条、平等の原則を定めた憲法14条の趣旨に反します。そこで、法律は民法の雇用契約の特別規定である労働法(労働基準法、労働契約法等)により、労働者が対等に使用者と契約でき、契約後も実質的に労働者の権利を保護すべく種々の規定をおいています。
4 労働者は残業の多さや過酷な労働の中で、疾病を負うこともあります。国は労災保険制度を定めて、労働者の業務上の事由または通勤による労働者の傷病等に対して必要な保険給付を行い、あわせて被災労働者の社会復帰の促進等の事業を行っています。その費用は、原則として事業主の負担する保険料によってまかなわれています。
5 労働者が業務から生じた死亡・傷病(いわゆる「過労死等」)などについて、労災補償ができるかどうか、厚生労働省は「過労死認定基準」を定めていますが、2021年9月に基準の改定がありましたので、以下で解説します。
第二 過労死等と過労死ライン
過労死等とは、過労死等防止対策推進法第二条によると、「「過労死等」とは、業務における過重な負荷による脳血管疾患若しくは心臓疾患を原因とする死亡若しくは業務における強い心理的負荷による精神障害を原因とする自殺による死亡又はこれらの脳血管疾患若しくは心臓疾患若しくは精神障害をいう。」とされています。
そして、同法4条は、国の責務として、「国は、前条の基本理念にのっとり、過労死等の防止のための対策を効果的に推進する責務を有する。」と規定しています。
これを受けて厚生労働省は「脳・心臓疾患の労災認定基準」を定めました。以下、この基準を「過労死ライン」とします。
過労死ラインは、労災認定の際、長時間の労働が脳・心臓疾患の発症の原因と言えるかどうかを判断する基準となるもので、
(1)直近の1か月で残業100時間、
(2)直近の2~6か月間で残業が平均80時間
などとされていました。
第三 厚生労働省による過労死ラインの基準の改定
この過労死ラインによると、残業時間が過労死ラインに至っていれば労災が認められやすくなりますが、過労死ラインに満たないと労災が認められにくいという状況になっていました。
過労で発症した本人や家族が、過酷な労働実態から発症したもので労災にあたると考えても、過労死ラインに満たないと労災が認められないことが多いのが実情でした。
厚生労働省は、こうした実情を見直し、2021年9月、過労死ラインの基準を改定しました。
残業時間が過労死ラインで定める時間に達していなくても、その時間に近く、また、休日のない連続勤務や勤務間インターバルの短い勤務、心理的負荷、身体的負荷などを総合的に判断して、労災を認定できるものとしました。
なお、過労死ラインの改定については、厚生労働省HPにある以下のリンク先(PDFファイル)もご参照下さい。
「脳・心臓疾患の労災認定基準 改正に関する4つのポイント」
https://www.mhlw.go.jp/content/000833808.pdf
「脳・心臓疾患の労災認定」
https://www.mhlw.go.jp/content/001004366.pdf
第四 過労死ラインに満たなくても労災が認定された事案。
過労死ラインの基準が改定されても、まだ運用から間もないため、具体的な事案で労災が認定されるかどうかは、まだ事例が多くはありません。その中で、2021年12月の一部新聞報道で、新基準による過労死ラインでの労災が認定された事案が照会されていました。具体的事案は次のとおりです。
【当事者】
X:調理師としてYに社員として入社。Y社の経営する居酒屋店で勤務中に脳出血を発症。後に労基署に労災を申請する。
Y:居酒屋店を経営する会社。Xを雇用。
労働基準監督署:労基署。
【事案の経過】
・2008年 Y社に調理師として採用される。
・2015年 A市のY社経営の居酒屋店舗に勤務。閉店後も翌日の準備などを行っていた。
・2016年 勤務中に脳内出血を発症。
・同年 A市の労基署に労災申請。
・同年 労基署はXの残業時間が過労死ラインに満たないとして労災申請を認めなかった。
・2021年9月 厚生労働省は過労死ラインを見直し、改定。
・同年 労基署は、Xの労災申請について、Xの残業時間の平均が直近2~6か月で最大75時間とした上で、過労死ラインに近い残業時間に加えて、不規則な深夜勤務などの負荷を総合考慮し、労災を認定した。
こうして労基署は、Xの残業時間が過労死ラインに満たない場合でも、厚生労働省が2021年9月に改定した新基準により、過重業務による負荷があるとして、総合判断により労災を認定しました。
第五 最後に
ご相談者様の場合、残業時間が1か月で100時間、または、2~6か月間で80時間に至っていないとしても、厚生労働省の過労死ラインの新基準によると、深夜勤務・休日勤務などの多さから、総合的に判断され労災と認定される可能性が高いといえます。一度、労基署やお近くの弁護士に相談されることをお勧めします。
以上