法の支配と民事訴訟実務入門(平成20年8月13日改訂)
総論1、訴訟制度の意義、法の支配、自力救済禁止について

Q:困っている友人に懇願され100万円を貸したのですが正当な理由もないのに返してくれません。訴訟を起こさないと取り戻しできないのでしょうか。どうして手間、暇がかかる訴訟を起こさなければいけないのでしょうか。

A:1.貴方に100万円の返還を求める権利があっても借りた友人が自発的に支払わない以上民事訴訟を裁判所(簡易裁判所)に提起しなければいけません。友人が何の正当な理由もなく返済しない場合も同様です。これを自力救済の禁止といいます。その理論的背景は「法の支配」にあります。

解説:
1. 貴方は困っている友人に工面してお金を貸してあげたのですから当然期限が来れば返してもらうことが出来るはずです。民法でも消費貸借契約(民法587条)として貴方の権利を保護しています。相手方が自発的に返済しないようであれば権利がある以上相手方の自宅に乗り込んでいって100万円又は、それに見合う財産を取り上げて来てもいいようにも思います。

2. しかし、このようなことは出来ませんし、脅かし無理やり友人の財産を奪ってきたら、窃盗罪(刑法235条)、又は恐喝罪(刑法249条)となり犯罪となってしまいます。いかなる国民も自らの権利を強制的に実現するためには裁判所の手続を経なければならないということ、これを自力救済禁止の原則といいます。

3. この原則が認められる理由は、社会生活秩序の維持にあります。国民各自が自らの権利行使を自由な判断により行えば恣意的な権利行使を許し、互いの自力救済を誘発し認めることになり、社会治安が混乱して外国の例を見るまでもなく最終的には自力救済の名の下、内戦と化すことも珍しい事ではありません。この原則は、法律に明確に規定してあるわけではありませんが、正当防衛・緊急避難が民法(720条)、刑法(35条等)により例外的に認められていることから、緊急事態でなければ自分の強制的権利行使・実現は許されませんから、必ず公的機関である裁判所の法的手続を踏まなければならないと解釈されています。もっと大きくいえば、国家の存在自体が自力救済を禁止しています。議会制民主主義においては、国民が自ら選んだ代表者を通じ国家組織をつくり国家の権力構造は司法、立法、行政権(憲法41、65条、三権分立)に分かれ、司法権を行使する主体は裁判所であり(憲法76条)その権限の最終根拠はそのような権力を国家に委託した国民の意思そのものにありますから、国民は自らの意思により自らの紛争解決権を国家に委託しており、その反射的効果として紛争解決権、自力救済権は放棄していると考える事ができるからです。自力救済を認めることは、国家組織・社会秩序そのものの否定に繋がりますから認められません。
 ではどうして、正当防衛など緊急行為の場合自力救済が許されるのかといえば、それは国家の存在目的そのものに根拠を求めることができるでしょう。憲法上、国家の存在目的・国の最重要責務は、国民の個人の尊厳・基本的人権の保障(憲法13条)にありますから、緊急事態において、法的手続を経ようとすると(遅きに失してしまい)却って権利回復が困難となってしまうような場合には、例外的に国民自らの尊厳・権利を守る手段が留保されていると考える事ができます。勿論、例外的な手段ですから緊急行為の要件は厳格であり簡単には認められません。例えば戦争放棄をうたう憲法9条の解釈においても、国家・国民が緊急事態における自らの権利を守る自衛権・抵抗権・生存権までも放棄していると解釈する人はいないのではないでしょうか。そのように考えると理解しやすいと思います。

4. 自力救済禁止の思想的背景は「法の支配」に求める事が出来ます。法の支配とは ルールオブロー(rule of law)といわれ、「人の支配 rule of man」「力の支配 rule of power」に対応する概念であり、国民は、社会生活権利関係において専制、恣意的権力(この権力は国家権力のみならず一切の社会的勢力を意味します)により支配されることはなく唯一民意を反映した適正公平合理的な法によってのみ支配されるという原則です。13世紀イギリスの法律家ブラクトン(Henry de Bracton)の法格言「国王といえども神と法の下にある!」はその趣旨を表現しています。この原則は、沿革的にイギリスにおいて恣意的な国王等国家権力により国民の人権が不当に侵害されたことから国民の意思に基づく適正合理的な法律によることなくして国民は権利の制限、剥奪をうけないとルールを確立したことにはじまりそれ以来英米法の基本原理になっています。その原形は13世紀イギリスのマグナカルタにあり1688年イギリス名誉革命、1775年アメリカ独立戦争等幾多の権力者側との戦い、数多くの犠牲を重ねて、近代的法の支配の基本的内容が以下のように確立されました。
(1) 個人の尊厳、平等の保障。
(2) 国民の意思による適正な法の存在。
(3) 適正な法を実現するに最終権限を有する裁判所、司法権の独立性、優位性を保持すること。全ての権利関係及び憲法に反する法をも裁く事が出来るものとして適正な法の実現を図って法の支配を実現するのです。
(4) 以上端的にいえば法の支配とは人類が長い歴史を経て勝ち取った貴重な知恵、制度であり国民の個人の尊厳、基本的人権を保障するため司法権(裁判所)を番人、担保として適正公平な法の成立、判断、執行を行おうとするものです。

5. 英米法を引き継ぐわが憲法においてもその内容は、明確に具体化され、個人尊厳(憲法13条、憲法の目的)、法の下の平等(14条)、法定手続の保障(31条)、裁判を受ける権利(32条)、国民の意思による立法(41条)、司法権の独立(76条、裁判所による紛争解決権の独占)、裁判所の法令審査権(81条、法律が憲法の趣旨に反しているかどうかの権限)憲法の最高法規性(99条、適正な法を実現しようとする憲法の地位の保持を明言しています)に規定されています。法の支配の最終目的は、公的裁判所を通じて国民の権利関係を適正な法律の適用により保護しようとするものですから国民相互私人間の紛争を裁判所の介入なくして自力救済により恣意的な解決することも当然認めることはできない事になります。そういう意味で法の支配の理論的帰結として自力救済禁止を捉える事が出来ますし歴史的にも重みのあるものなのです。

6. 以上より、たとえ友人が正当な理由がなく返済しなくても法の支配の理念、自力救済禁止の法理から最終的に貴方は裁判所を通じて返済を求めていくという事になります。又、歴史的にも、適正な社会生活秩序維持という点からも訴訟を行う裁判所制度は意義深く必要不可欠のものなのであることを忘れてはいけませんし勿論このような訴訟制度を濫用、軽視する事は到底許されないわけです。

7. 「法の支配」の詳しい歴史、考え方については、こちらをご参照ください。

≪条文参照≫
民法
(消費貸借)
第五百八十七条  消費貸借は、当事者の一方が種類、品質及び数量の同じ物をもって返還をすることを約して相手方から金銭その他の物を受け取ることによって、その効力を生ずる。
刑法
(窃盗)
第二百三十五条  他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
(恐喝)
第二百四十九条  人を恐喝して財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。
憲法
第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

第三十一条  何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第三十二条  何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
第四十一条  国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

第七十六条  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
○2  特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
○3  すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
第八十一条  最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

民事訴訟法
第八章 簡易裁判所の訴訟手続に関する特則
(手続の特色)
第二百七十条  簡易裁判所においては、簡易な手続により迅速に紛争を解決するものとする。
裁判所法
第三十三条 (裁判権)  簡易裁判所は、次の事項について第一審の裁判権を有する。
一  訴訟の目的の価額が百四十万円を超えない請求(行政事件訴訟に係る請求を除く。)

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